Category Archives: Sinh hoạt giao lưu

A journey to discover yourself in Viet Nam 2016 自分再発見の旅 ベトナム 2016 Summer

今年の夏は例年以上に猛暑であった。連日、日中は30度を超え、暑さに倒れる人が続出した。そんな中を8月20日~27日まで、1週間のベトナムへの旅に出た。会員のみなさんへも“つばさ通信”241号で、ご一緒に行かれませんか?とお誘いしたので、覚えておられる方もあるでしょう。今回参加した人は全部で9人。そのうち会員はリーダーの平野時子さんはじめ、伊藤智恵子・勝正夫妻、私の4人でした。あとの方は初めてお会いする人もありました。真夏のべトナム1週間は、 今思い出しても満ち足りて、幸福感に包まれます。そしていつまでも余韻が残っているのです。 9月11日には帰国して初めての交流会が開かれました。全員出席でした。私もこれまであちこち海外のツアーに参加しています。その大方は海外の福祉や保育事情を視察したり、女性の社会的地位を見聞したりの研修旅行でした。でも今回ほど感動でいっぱいの充実した旅はありませんでした。何がそんなに魂を揺すぶられたのか、ずっと考えています。今でも。それはユンさんや参加者の方々のエッセイを読んでくだされば、よく解ります。私は少しペースを抑えて、短めにご報告します。 お花見から始まった出会い 去る4月2日、佐橋の実弟・守山区在住の伊藤勝正宅で、お花見がありました。その企画を持ち掛けたのが今回の旅のリーダー・平野時子さんでした。ベトナム人でベトナムと日本の架け橋をめざし、活躍しておられるグエン・トリ・ユンさんのお話と映像を、桜と一緒に観ませんか?というお誘いでした。日本とベトナムの友好と発展のために日本国から勲章までもらわれた方なんですって!…ふうーん、すごいね!どんな方なんだろう?…。ちょうど桜のきれいな頃で、そんな楽しい会ならぜひ、と夫と三男一家と5人で出かけました。それが今回の素晴らしいベトナム旅行のきっかけになるとは、全く夢にも思いませんでした。夫と私はいつも「人生の真は出会いなり」との言葉を座右の銘にしています。人生で何が一番大切なものなのか…それは財産でも地位でも名誉でもありません。 人と人との出会いの大切さと、その絆を深めていくことこそ、何ものにも増して大切な宝物なのですしかも自分たち家族の幸せだけでなく、周りの社会が平和で豊かなものでなければ、真の幸せとは言えないでしょう。これは結婚50年の人生を共に歩む中で、育てられてきた私たちの価値観です。それが今回の旅によって、こんなに深く実感できるとは、望外の喜びでした。 ユンさんの理想郷―ミントラン ユンさんのことについては、ご本人と平野時子さんが述べておられますが、ユンさんがなぜ日本の大学に入学されたのか、直接お聴きしました。「それは子どものころから、アジアで一番経済発展と文化を持つ日本に憧れていた。それで1970年、国費留学生として来日し、一橋大学に。その間学生であったが、日本でベトナム戦争反対運動に加わっていた」という真の平和活動家でもあったのです。国連機関に17年勤めた後、株式会社NICDを起業され、電子部品組付けの受託生産を行い、100人もの若い女性たちが、お揃いのユニホームで、三交代制のフル稼働で生産に励んだ。しかも労働組合が今もあると聞いた。 このようにユンさんは優秀な経営者であると同時に、社会全体の平和・幸福を追求する社会事業家としての側面を実践されている稀有の人でもあるのです。 私たちにもミントランで、大型画面によるNHK制作の「映像の世紀―ベトナム戦争」を見せていただいた。このビデオはベトナムの教材として、ミントランを訪ねた人たちには観てもらうそうである。宮城大学の学生にも、経営セミナー、ビジネススクール、またベトナム人にも観てもらう。ベトナム戦争終結から40年も経ち、若い人はもう戦争を知らない世代になっているから、とのこと。 ミントランとは、ユンさんが作られた理想郷であり、それはまだ発展途上とお見受けした。今後、ミントランのような拠点がもっと拡がることを願ってやまない。 ホーチミン空港から近い都会の真ん中に、4000坪の生い茂った森が広がり、その中には11の建物があり、ベトナムの小数民族の民家やお寺などが移築され、失われていくベトナムの文化や生活を伝える建物、道具、民芸品などが訪ねた人に開放されている。ミントランの入り口には鉄の門がついていて、門番がボタンを押すとゆっくり開閉する。門を一歩出るとごちゃごちゃした通りで、朝早くから屋台で朝食をとる人も多い。 私たちが泊めていただいた宿泊棟はホテル並みのゆったりした施設であった。いつも一部屋に何人かで泊まることが多いのに、個室にはダブルベッドに天蓋さえ付いていた。さらにシングルベッドもあり、バス、トイレ付きで“1人で寂しい”と言いだす仲間もいるぐらい。さらにかつての精密機器の生産工場や事務所などもあり、目まぐるしい経済界で今後何をなすべきか、時代の先端を見据えてべトナムの経営者や財界人にも指導、進言をされている。お忙しい時間を割いて、戦争証跡博物館やベトナムの古都フエにもご一緒くださり、皇帝のお墓や寺院へもご案内頂いた。戦争証跡博物館は10数年前一度訪ねていたが、膨大な写真や拷問の道具、檻など見てフラフラになってしまった。アメリカ人の若い人たちが大勢来ていて、じっと写真や解説文に目を凝らしていた。どんな思いで彼らはその現実を見ているのだろうか。仲間のなかで語学に強いタケさんは、涙があふれてとても全部見ることができなかった、と目を真っ赤にされていた。 本物の「おもてなし」 ユンさんの多忙さは、掛かってくる電話の数を見ても明白である。およそ10分おきぐらいといっても良いぐらい。しかもユンさんが掛ける電話やスマホでの応答。その間に無数の写真を撮り、帰りまでに1枚のCDにしてお土産にいただいたほどスピーディである。 日本にいる奥さんの柴田智世さんにも、1日に10本以上の電話や映像を送り、情報を共有されている。68歳にしてこのパワフルさに圧倒される。 ミントラン近くのドンコイ通りやベンタイン市場にショッピングに行くときも、職員の男性ドライバー・チュンさんが目的地までマイクロバスで送迎。同乗した日本語のわかる女性・フンさんがショッピングにまで付き合ってくださる。おかげで沢山のお土産を買うことができた。彼女はメンバーの中でも最年長の私の足元が不確かなのを見つけ、バスの乗り降りもやさしく手を取ってもらった。これは仲間のみなさんも同様で、おかげで私は荷物を持つこともなく、こんなに優しくされた経験がなかったので、嬉しいやら戸惑いやら…初めて歳を実感した。おかげでみなさんに助けられ、何とか行動を共にできた。 “ひょっとして海外旅行はこれが最後かな?”との思いもいつの間にか雲散霧消。それどころか“今回行けなかったハノイにも行きたいな”などと早くも厚かましく思っている次第です。 でも、その時もやはりミントランを拠点に訪ねたい。ミントランには豊かな自然と心を癒す花々、小鳥のさえずり、心地よい風に吹かれゆったりいただく朝食のおいしかったこと!スタッフの皆さんのおもてなしのすばらしさ。グルメのユンさんが様々な選りすぐりのレストランに連れて行ってくださったけれど、それに負けないぐらいミントランでの食事はおいしかった。きっと2キロは太りますよ!と警告されていたけど、体重はキープ。無農薬で新鮮な野菜が多かったからでしょう。もっとも血糖値は上がってしまい、今コントロール中です。 真のフェミニスト ユンさんは仕事柄、会社を何日も空けられることも多い。日本の奥さんや娘さんたちの所へも帰られる。その間、会社を守るのは副社長のチャオさんである。ベトナムへ発つ前の8月12日。宮城大学の学生にベトナム語を教えたり、会社の説明に副社長が来日されると言うので、私たちは名古屋市内のお蕎麦屋さんに出向いた。多分年配のおじさんが現われるだろうと思い込んでいた。ところがそこに姿を現したのは、小柄で丸顔、色白でチャーミングな女性で、みんなびっくり!日本語も上手で聡明な人であった。社長の仕事を見事にこなし、社長の片腕として重責を果たされている。ベトナムでユンさんに訊ねた。 「あんな素敵な人をどこで見つけて来られたのですか?」「いえ、育てたのです」6年半にわたる日本の3つの大学への留学、それをユンさんの支援や奨学金によって見事に卒業された。本人の努力もあって、今ではユンさんの留守中でも見事に役割を果たされるまでになった。 これまで長年女性の自立や平等、能力の開花を後押することをライフワークとして活動してきた私にとって、ユンさんの真のフェミニストぶりに痛く心を奪われた。こんな男性や企業がもっと現れてくれれば、女性もさらにと輝けるのに! それだけではない。日本で娘が保育園に通うようになれば、働く母親達のためにベトナムにも保育園を作り、小学校、中学校、高校設立まで助言し、時には設計まで手掛けられたという。今度はミントラン大学の設立を期待します。 教育こそ国の未来を創っていくものであり、その必要性が急がれるのではないか。教育の成果が現われるのには時間がかかり、財政負担も莫大である。それこそ国家レベルでの資金援助が必要であり、市民の要請、世論の高まりが不可欠に思われる。 今後の夢 私もこの偉大なユンさんのことをまだ部分的にしか知らない。そんなこともあって、旅が終わって初めて再会したとき、みんなの総意で、今後不定期ではあるが「ミントラン研究会」を発足することになった。このままお付き合いが途切れることはもったいない!こんなに素晴らしい人たちのことを、もっとお互いを知りあいたい、との思いが、みんなの胸に去来していたから。 ユンさんが日本とベトナムの友好・発展・平和のため尽力されてきたことを理解し、ご一緒できた素晴らしい仲間たちとの友情を深め、自分たちに何ができるかを考え、実現をはかる。今回の旅はまさに、自分探しの旅になったといえよう。みなさんの中にもこの研究会にお入りになりたい方は、ぜひどうぞおいでください!  旅のだいご味は、何といっても何日間を寝食共にすることで、素晴らしい友人を得ることができることです。それはみんなが心を開いてくださるから可能になるのです。今回の旅ほど心許せる友人を持てたことはありません。加齢とともに年々友人を失っていく現状の中で、新たな友を得ることができ、目の前が光り輝いています。心も体も癒され、元気になれた素晴らしい旅でした。 「 私 と 日 本 」 NICD(株)代表  グエン・トリ・ユン 現在の日本で代表を務めるNICD(株)はNETWORK OF INTERNATIONAL COOPERATION FOR DEVELOPMENT の略です。国連地域開発センターでの経験を活かして、ベトナムを発展させることと、自分のライフワークである国際市民交流を実現させるために、平成4年、名古屋で設立しました。現在の主な業務は、ベトナムでの半導体関連機器の受託製造、コンサルティング、日越大学間学生交流、地方自治体、民間企業間の日越交流です   日本の本当の強さ 国連勤務時代は、アジア・アフリカなど途上国の政府から派遣される人材に、日本の開発モデルを教える仕事で、17年間携わりました。途上国からの研修生に教えるプログラムは、先進国の大企業、大都市の現状よりも地方の開発モデルのほうが参考になると考え、日本全国の地方自治体や農村、小中学校や中小の製造業の施設見学などをプログラムに取り入れ、交流会も積極的に行いました。そのプログラムは研修生には大変評判がよく、途上国の将来を担う人々に日本人の考え方ややり方を伝えるのに大いに役立ちました。広島の原爆記念館訪問も必ずプログラムに入れました。その研修を実施する中で私は、日本の強みは大企業や大都市ではなく、地方都市や中小零細企業の資質のレベルの高さにあると理解しました。 その頃、ソ連崩壊、東西ドイツ統合などを追い風に、ベトナムでもドイモイ(経済改革)がはじまり、ベトナムに海外資本投資が入りやすい環境になっていました。そのため国連を辞め、日本の進出企業の現地パートナーとして、ベトナムで会社を作りました。ベトナム初の民間会社でした。その後も、海外からの進出企業に対応できる人材育成をと、ベトナム初の民間ビジネススクールも作りました。 日本で自分の子どもを保育園に預けた経験から、ベトナム初の保育園もつくりました。 ミントランの誕生 20年ほど前には、当初は何もない沼地だった地に、新たにミントランという会社を設立しました。ミントランとは、ベトナム語で「真珠」。長女の名前です。土地面積は約4000坪で、半分は工場を建てて使用し、残り半分は地域の人たちにサッカー場として開放していました。そのうちに工場では、半導体の検査機器という精密機器生産を24時間体制で操業することになり、外部の人が自由に出入りすることが不都合になってきたため、高い塀と門を作りました。ミントランの従業員たちは皆、会社勤めの経験がない人たちばかりだったので、精密な作業の疲れを癒してもらうために木を植え始めました。ハイテクとローテクをセットにするということは、私が好きな考え方です。 その頃のベトナムでは、外資によって新しい建築物や高層ビルが建ち始め、自国の文化や伝統的な建築は古臭く時代遅れと思われる風潮になっており、私は文化的な危機感を感じていました。日本での経験から、社会が発展すればするほど、文化的独自性のあるものは価値を増すことを知っていたからです。失ってから取り戻すことの難しさも、よくわかっていました。そこで、空いている半分の土地に、当時どんどん壊され始めていた北部や中部の伝統的な建築物や少数民族の家を建て始めました。材料は、すべて現地調達でそのまま移築したため、運搬途中で木材が壊れたり失くなったりしてとても大変でしたが、機械重機を使わずに伝統の工法で再現する建て方は、それを見た工場の若い労働者たちを感嘆させ、自国の文化を見直すきっかけになったと言っていました。実際、修学旅行などなかったベトナムの若者たちは、自分の目でベトナムの伝統建築や少数民族の文化財などに触れる機会はほとんどなかったのです。庭に植えた木々は、日本の5倍の速さで成長し、庭は17年で森のようになりました。 当時私は、日本での講演でベトナムの特徴についての質問があると、「現在のベトナムは、19世紀、20世紀、21世紀と3つの世紀が同時に存在する国なのです」と言いました。地方では、牛を引く農業や電気に不自由する暮らしがあり、町ではスーパーやバイクが増えてきて、都市部の若者たちは、英語が苦手の日本人よりよほどインターネットや通信機器に精通しています。 親日の仲間を増やしたい また、日本にいるときの私は、ベトナムから赴任してくる駐在大使や来日する大学教授や研究者などで、これはと思う人には、自費で日本の各地に連れて行き、国連仕込みの「本当の日本」を体感してもらいました。すると彼らは皆「日本信者」と自称するほど日本のファンになり、帰国してから周りの人たちに布教してくれました。 […]

Giới Thiệu Văn Hóa Ẩm Thực Truyền Thống Nhật Bản Mì Udon Hầm Vị Miso

Ngày 21, 22 tháng 6 vừa qua, tại vườn Minh Trân, đã diễn ra chương trình Giới thiệu văn hóa ẩm thực truyền thống Nhật Bản do các chuyên viên đến từ đất nước Mặt trời mọc trực tiếp hướng dẫn thực hiện, đây là một trong những chương trình kết nối Nhật – Việt […]

Chương trình giới thiệu “Đặc trưng du lịch và Giao lưu văn hóa ẩm thực Gifu Takayama – Nhật Bản”

Cuối tuần vừa qua, tại Vườn Minh Trân đã diễn ra chương trình đặc biệt, giới thiệu về đặc trưng du lịch và giao lưu văn hóa ẩm thực của Thành phố Takayama, thuộc tỉnh Gifu Nhật Bản. Đến tham dự đặc biệt có sự góp mặt của ông Yakabe Yoshinori – Phó TLS Nhật […]

Triển Vọng Hợp Tác Việt – Nhật Qua Các Chương Trình JICA

Đây là buổi giao lưu, trao đổi về vốn ODA do Cơ quan Hợp tác Quốc tế Nhật Bản (JICA) phối hợp với Công ty Minh Trân tổ chức vào ngày 15/3 vừa qua tại Vườn Minh Trân. Mặc dù quỹ thời gian tổ chức rất hạn chế nhưng chương trình đã được sự quan […]

Miyagi University’s Real Asia Program in Vietnam #8

Feb 2013   02 Sep 2013   03  Feb 2014   04 Sep 2014   05 Feb 2015   06 Sep 2015   07  Feb 2016   08 Sep 2016   09 Mar 2017  10 Mar 2018  11  Mar 2019  12 Miyagi University’s Real Asia Program in Vietnam #8 POSTER 11/3/2016 is the 5th anniversary of the Tohoku earthquake and tsunami disaster in Japan. Though we may see places where the recovery […]

Chương trình gặp gỡ thân mật Chuyên gia trí thức kiều bào Kết nối và đổi mới sáng tạo Việt Nam 2016

Đây là buổi gặp gỡ, giao lưu thân mật giữa các chuyên gia, trí thức Kiều bào trên thế giới do Bộ Khoa Học Công Nghệ và Hội liên lạc với người Việt Nam ở nước ngoài tổ chức tại Vườn Minh Trân. Đến tham dự có sự góp mặt của ông Nguyễn Quân – […]